越智 愛 の日常と〇〇

いつまでたってもイスタンブール 300万人を抱えるブロガーを目指す

指摘する者の葛藤の常

 

 

この前、後輩が仕事でミスをしまして。

 

それをフォローするために色々と相談に乗ったり、手助けをしたんですね。

 

その後、なんとなくその案件が落ち着いて解決したっぽいのですが、

最終的にどうなったのか?という結果報告が後輩から自分に無かった訳です。

 

いつまで経っても報告に来ないので

「そう言えば、この前の件ってどうだったの?」

と、こちらから聞きに行きました。

「大丈夫でした。」

と、元気よく返事をしてくれたのですが、

「普通はさ、迷惑かけた先輩とか周りの人に、どういう結果になったか、

 自分からすぐ報告しに来るもんじゃないの?」

と、言ってしまった事がありました。

 

 

 

 

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「普通」という言葉を使うのがいかに難しく、安易に使いすぎるのは良くないか、

ということは以前も一度書きましたが、

それでもこの件の時は「普通」という言い方をしてしまいました。

 

とてつもなく反省すると共に、どうやって指導をすればよいのか、

頭を悩ませる日々です。

 

 

「普通はさ、迷惑かけた先輩とか周りの人にどういう結果になったか、

 すぐ報告しに来るもんじゃないの?」

 

こう言った後に、後輩は黙り込んでしまいました。

 

確かに自分からすれば、

迷惑をかけた先輩に報告に行くことや、

一緒に謝ってくれた課長にお礼を言うことは、

間違いなく「普通」のことだと思ってました。

こう言ったことは「マナー」であって、仕事がどうこうと言うよりも

人と人との付き合いとして「当然」の事だと思ってました。

 

ただ、彼女にとってはそうでは無かった訳です。

そこに悪気や悪意があるわけでは無く、ただそういうものだと。

つまり彼女にとっての「普通」を遂行したまでなわけです。

 

これに対して、

「それは社会人としておかしいから治すべきだ」

と、表面的に指摘するのは簡単な事だと思います。

 

 

果たして、言う側の人間は全ての事柄に対して

「普通」という先入観に捉われることなく、思考できているものでしょうか。

 

 

ちょっと話のベクトルが違うかもしれませんが

自分は会社行事が好きでは無いので、基本的には行かないのですが、

それが先輩からすると、

「飲み会の後にカラオケに行くのは「普通」だろ?」

「休みの日でも時間があれば課の為に働くだろ?」

と思っているかもしれません。

 

そうすると、相手の普通に合わせることができていないのは自分です。

ただ、自分に悪意があるとか、悪気が無いのは自分が一番わかってます。

「なぜ、行かないといけないんだろう?」

「なぜ、付き合わないといけないんだろう?」

 ただ単純な疑問です。

 

 

こういったことを自分自身が考えてしまう以上、

後輩に表面的に指導するのがいかに間違っていることか、考えて悩むわけです。