越智 愛 の日常と〇〇

いつまでたってもイスタンブール 300万人を抱えるブロガーを目指す

田舎育ちは承認欲求が弱いという暴論を考えてみる

 

 

FacebookTwitterよりもInstagramの登録者数が世界で一番多いらしい。

 

 

「どいつもこいつも承認欲求の塊かよ」

という意見がある一方で

「素敵なものを見つけた感動を共有したい」

という気持ちの人もいるので

何が良いとか悪いとかはどうでもいい話。

 

 

てか、アピールが気に入らないならフォロー外せよっていう話。

 

 

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タイトルに挙げたように、田舎育ちは承認欲求が弱いという暴論を考えてみる。

 

これだけだと意味不明な文章だと思うので整理すると

 

田舎育ち ⇒ (物理的に)自分の帰る場所がある人

承認欲求が弱い ⇒ 自己肯定を自分で得ることができる

 

 

と言うことが言いたい。

難しく書いたので逆に頭悪そうに思えるけどこういう事が言いたいのは

なんとなく伝わるでしょうか。

 

 

田舎で育ったので、家の前には川、裏は山、家の隣は畑、田んぼ。

先祖代々の墓が敷地内にあり、街灯が無いので夜は空が広いし、鹿や猿が作物を荒らしに来る。

最寄りのコンビニも駅も、車を使わないといけない。

家の周りは同じ苗字で友達の家が遠い。

 

そういう恵まれた環境で育ってきたので、一人で過ごす時間というのが多く、

飽きずに家の周りをずっと散歩したり、川遊びをしたり、墓の掃除をしたり、

草を刈ったり、溝掃除をしたり、農作業の手伝いをしたりと、

学校以外で他人と関わる機会が少なかった気がする。

 

というかそれで満足してしまってました。

 

家のまわりでぼーっとしてるのが一番楽しい。というような。

 

だから、誰かに認められるとか、そういう対象がそもそも無い。

ここに座って、流れる川と山の緑を見るだけで、

落ちる夕日と稲穂の上を飛ぶ赤とんぼを見るだけで、

墓石を洗いながらご先祖様に話しかけるだけで、

戻ってこれるというか、それで十分に

「ここは自分の場所だ」

と、自己肯定ができるような気がしている。

 

 

田舎育ちということに限らずとも、

自分の帰る場所がある人は承認欲求が弱いのでは無いかと思う。

 

「自分の帰る場所がある」ということは物理的に、と書いたけれど別に場所に限定しない。

 

例えば、没頭できる趣味があるとか、それだけで満足できるものがあるとか。

 

自分の機嫌を自分でとる、ということを芸能人の誰かが言っていたけど

そういうことのような気がする。

 

 

果たして。