越智 愛 の日常と〇〇

いつまでたってもイスタンブール 300万人を抱えるブロガーを目指す

「報・連・相が大事」という言葉をそのまま「報告・連絡・相談することが大事」と思っている人多すぎ問題

 

 

意味違うわ。本読め。本。

 

 

多分、「報・連・相」という言葉が誰が言い出したのかも知らずに

なんとなくみんなが使ってるから使ってるんだと思うけど。

 

使うのはいいが、それを周りにさも当然かのように振りまくな。

 

少なくとも、提唱者が「報告・連絡・相談することが大事」

という意味で「報・連・相」を言い始めたわけでは無いことくらい知っとけ。

 

 

と、思うこの頃。

 

 

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言葉の意味って、浸透していくことでどんどん変わっていくのが常なので

どこまで突っ込んでいくのかは難しいところだと思いますが。

 

 

元々の報・連・相の意味って、

「報告、連絡、相談をしやすい環境を会社全体で作り上げていこう、

 そして最終的に風通しの良い会社を作っていくことで、

 一人一人の能力を最大限に発揮するのが目的だった」

 と言われてますね。

 

 

 

そりゃそうだろ。

 

 

 

 

と思います。

報・連・相が大事て言われて、報・連・相をしようってなるんなら、

典型的な「手段が目的になってる」話じゃないですか。

 

 

 

 

報告・連絡・相談が大事だなんて別に社会人にならなくても

小学生くらいから知っているもんじゃないのかと思います。僕だけ?

 

 

そんなことをいちいち教えられなくても、自分が組織の一員で、

何かに取り組んでて、やらかしたり、失敗したらとりあえず相談はするだろう。

むしろ、してきたはず

 

 

特段、「報告・連絡・相談が大事だと言われたからする~🎵」

みたいなハッピーな人はいないだろう。

 

 

それじゃなんで、学生の時にはそういう事が出来てて、

社会人になったら今更、ホウレンソウが出来ないのか??

 

 

答えは簡単すぎるほど簡単(だと、個人的には思っている)

 

 

ズバリ、周囲と信頼関係がないから。

 

 

ただこれだけのことだと思う。

 

 

自分と仲が良い友達10人くらいで会社を立ち上げたとするじゃないですか?

その際に自分が大きな取引で失敗して、すぐに報告しないと会社の存続に関わる、

みたいな事案が発生したとしたら、まず間違いなく直ぐに報告すると思うんですね。

 

「やべぇ、やらかしたかもしれん。」

「どした?」

「あの案件、飛びそうだ。やばい。」

「マジか、はよ帰ってこい、会議するぞ」

 

くらいのノリで会話になると思うんですよね?(想像)

 

ここには、その周りの友人たちと既に信頼関係ができているので、

自分がマイナスな事を報告しても頼りになるし、

全員で物事に取り組もうという関係が既にあるわけです。

さらに他のメンバーの為に頑張りたいという熱い気持ちもあるので、

自分のミスは自分で取り返したい、という気持ちから

真っ先に報告をすると思うんですね。

サークル活動とか、部活動とか物事の規模は違えど、

こんな感じだったのではないかと。

 

 

要は、友達だから言い易い

ただこれだけ。

 

 

それが、社会人になると

学生時代の友人のような付き合いをするのはなかなか難しいのが正直なところ。

信頼関係ができていないので、

 

報告しても怒られ、連絡しても怒られ、相談しても怒られ、

という考えがまず頭をよぎり、

 

(最終的に報告しないといけないのはわかっているけれど)

「どうしたらいいんだろう。。。」

「何から言えばよいのだろう。。。」

「何でこうなってしまったのだろう。。。」

 

という負のループに陥り、、、

 

みたいな感じになっているのかと。

 

 

もちろん、自分の意志で選んでその組織に関わっている以上、

組織のことを優先するべきで、信頼関係がどうとか言っている場合じゃない、

という考えもあるとは思いますが。

 

 

それだけで快適に過ごせたら苦労はしないですね。

 

 

 

後半雑になった。

 

 

 

 

 

 

先人の役割とは

 

これ

 

news.livedoor.com

 

記事の内容云々は置いておいて

 

「来年から楽になるなんてずるい。役員をすませた私たちがバカをみたようだ」

 

この言葉がなんかすごい。

「ずるい」という発想が来ること自体、組織のこと、ここではPTAのことを何も考えてないんだと思われる。

自分が所属している組織のことを本当に良くしていこうという気持ちがあるのであれば「ずるい」と言った相手の行動を非難する発言ではなく、組織の経緯や背景、先人の思いなどを鑑みた指導になるのではないだろうか?

 

「ずるい」といった概念は自分が組織に対して真剣ではないからこそ生まれる考えだと思ってしまう。

 

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多くの団体、組織、チーム等は世代が変わっていくことが多いと思う。

この時に、実際に活動、仕事、業務を行ってきた先人たちが

下の代に残すことができるものは何だろうか、ということを考えると自分達の「経験」であろう。

 

この「経験」は一言で言うにはあまりにも多くのことを含みすぎていると思うが、

ここでいう経験とは「知識(知っているか知らないかだけのこと)」であり

「技術(時間と共に身についていくもの)」のことではない。

 

多くの先人たちはこの「経験」という言葉を安易に使って

「知識」と「技術」という言葉をごちゃ混ぜにしている気がしてならない。

 

後輩の成長、組織の活性化を願って後輩たちに経験を積ませるのは良いことだと思う。

 

ここで言う経験はあくまで「技術」のことだ。

自分がやらないとわからないこと、やってみて実際にわかること。

沢山あると思うし、それを部下に任せて一任するというのは

個人の成長を考えてもとても良いことだと思う。

自分の企画のプレゼンテーションで大失敗したりすることで、次はもっと上手くやってやるという気になるのは、本人にとってもチームにとっても必要不可欠なことだと思う。

これは「技術」であり、やればそのまま上手くなる、むしろやらなければならない。

 

問題なのが「知識」である。

企画のプレゼンテーションを行う際の、準備する資料の数や、プレゼン用の部屋の予約の仕方だとか、会社で決まっているフォントのサイズだとか。

ここにあげたのは大分雑だけれども、こういった「知らないとどうしようもないこと」を経験として指導している先人が多いと感じる。

 

「今の若者は根性が無い。調べようとしない。何でも質問してくる。」

 

こういった意見をよく聞くが、果たしてその若者の質問の意図は

「経験」における「知識」に対する質問なのか「技術」に対する質問なのか。

 

「プレゼンの際に保管用の資料がいるから、5部多く準備する必要がある」

「会議室の予約は、新人の場合は一週間前から必要だ」

「フォントは明朝体をどんな状況でも使う必要がある」

 

こういったレベルのことに対しても「考えたらわかるだろ」と言った指導がまかり通ってないだろうか?

 

考えてもわかるはずがない。

 

結局は知っているか、知らないか

ただそれだけのことが多いように感じている。

それを「経験」という一言で片づけている事案が多い。

 

もちろん、経験に対する解釈を曖昧にしているのは先人、後輩、共に責任があると思うが、その組織に属していて多くの「知識」「技術」を得ている先人が、より配慮する必要があると考えるのは必然であろう。

 

 

  

「自分がされて嫌なことをしてはいけない」のならば「自分がされてもいいことは人にしてもいい」のか?

 

というようなことを前々からよく考えます。

 

自分がされて嫌なことは相手にしない、

ということは物心ついた時から当然のように考えることができてて、

親に感謝なのだけれど 、

そう言った感情を思う反面で

別に自分はされてもなんとも思わないから、

他人に対してもするということが結構あります。

 

ここで言う「する」というのは「しないことをする」ということです。

  

例えば、友人宅を訪れた際に飲み物を出すとか、

旅行に行った時はお土産を買ってくるとか、

宴席の際に率先して末席が注文を取るとか、

 

こういったことは自分がされなくても何とも思わないので

他の人に対してもする気にならないですが、

 

果たして。

 

やりたいことNo.135 映画「空気人形」を見る

 

 

 

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何年か前にいたふが言ってような気がする映画。

 

監督 是枝裕和 とのことで

最近読んだ雑誌の是枝さんの投稿が興味深くて、

どんな方か調べていたらこの映画にたどり着いたので見ました。

 

 

色々と怖かった

 

映画の感想とかそもそも映画全然見ないのでどう表現すればよいのかわかりませんが

なんか怖かったです。

 

 

 

 

お土産文化とカラオケ ー 前編

 

 

まずカラオケが苦手だ。

二次会でカラオケとなると本当に帰りたくなる。

 

ここで言うカラオケというのは、

知らない複数人で同じことを他人の目を気にしながらすること

と同義だと考えてほしい。

 

とにかく私はカラオケが苦手だ。

何が楽しいのかが全く分からない。

「軽音サークルに入ってたならカラオケとか好きでしょ?」

とか、結構言われるけどそんなこと全くない。

軽音サークルの人間をパリピの巣窟だとでも思っているのか果たして。

 

まだ相手にどこまで踏み込んでもいいのか分からない状況や関係性の中で

流行りの曲とか盛り上がりそうな曲とかを適当に入れてサビだけ盛り上がって

後は良く知らない、うるさければよい、どのメンバーで行っても大体の選曲は一緒、

私の周りはこんなのばかりだ。(運が悪いのか?)

 

暗黙の了解として、周りが知っている曲を入れる、であったり、

もし万が一誰かが知らない曲を入れても露骨に知らない素振りを見せてはいけない

なんどもトイレに行かない携帯を触らない

など、別に無視してもいいのだけれど、やったらやったで変な空気になる決まりごとが

隠れているのがカラオケが嫌いな一番の理由かもしれない。

 

 

みんなが楽しむために個人を殺してみんなに合わせる

という空気だけを強く感じてしまうのは

自分がひねくれているからなのかどうなのか。

 

 

だから、気心知れた人か、偏ったメンバーじゃない時のカラオケは

本当に苦痛でしかない。。。

 

 

 

 

 

自分がやってた中学、高校の部活を思い出してほしい

 

 

自分は中学の時テニスをしていたのでテニスになぞらえて考えるけど

もちろん自分が想像つくものなら何でもいい。

サッカーでも野球でもバンドでもアルバイトでもまぁなんでもいい。

 

さて

テニスで話を進めるけど、

それぞれ各人がやってたことに置き換えながら話を進めてほしい。

 

テニスはラケットでボールを打ち合うスポーツだ。

走ってボールまで近づいて、ラケットを引いて構えて、ラケットを振って打つ。

 

文字に起こしたらやることはとても単純だけれども

ちゃんと体勢を整えてボールを相手のコートに打ち返すというのは練習しないと

そうそう簡単にできることではない。

特にテニスは初心者に優しくないスポーツだと思う。

中学の体育の授業の時にテニスを選択しても全く盛り上がらなかったと思う。

その通りだと思う。

 

さて、

テニスをするにあたってひたすら練習をする。

毎日走りこんで、ラケットを振って、自分のフォームを確認して、

戦術を勉強してと、まぁひたすら愚直に練習するわけだ。

 

自分がテニスというルールの中で

ひたすらボールに食らいつき、いかに相手のコートにショットを打ち込むか、

これを考えて取り組んでいた時に、何かが転がってきた。

 

サッカーボールだ。

 

「わりぃわりぃ」

と言いながらボールを取りに来るのは、学校で有名なサッカー部のエースだ。

全国でも有名なプレーヤーらしいというのはなんとなく噂に聞いている。

 

「邪魔したな」

そういって彼はボールを持ってテニスコートから去りかける。

 

その時にだ。

想像してほしい、彼がこう言ったとする。

 

「テニスってラケットがないと何もできないスポーツだよな。

 俺なら体一つで走り回って相手のゴールにシュートを突き刺せるけどな。」

彼はそう言って去っていった。

 

 

さて、ここでもう一度想像してほしい。

いや、考えてほしい。

 

 

あなたはどう思った?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「確かにその通りだな」

 

と思っただろうか。

まぁ、それならまだ大丈夫だと思う。

大丈夫だと思う、だなんて上から目線だなんて思わないでほしい。

ここは越智愛のブログだ。それは置いといて

 

 

「そんなこと言われたって、サッカーはサッカー、テニスはテニスだし。」

「そもそも、やってることも目的も違うからなぁ。」

「それはそれでいいのでは?」

 

と思ったのではないだろうか?

 

そりゃそうだ。

やってることが違うし、比べることが間違ってる。

そもそも比較できない。

 

「確かにサッカー選手ってすごいよなぁ。体一つでなんでもできるんだもんな。

 自分はラケットが無いと何もできないのに。。。」

 

なんて思っただろうか。

 

恐らく思わなかったと思う。

繰り返しになるがそもそも前提が違うからだ。

サッカーはサッカーで頑張っているし、テニスはテニスだ。

それぞれがそれぞれで頑張れば良い。

 

 

 

 

ただ、成長するとどうもそれだけではいかないみたい。

 

自分がやっていることに対して全力になるという、ごく当たり前のことが

どうやら、どうやらできないみたい。

できなくはないのか、やりづらくなっていると言った方が正しいのか。

 

成長するという一言で話をまとめるのもどうかと思うけれど。

 

 

自分たちが別々のスポーツを選択した人生を送っているという前提ではなく、

 

それよりもっと前、

 

自分たちは同じ人間でこの社会を生きているという前提で生きてしまっている。

 

 

だから、自分たちが生きている土俵は違うはずなのに

すべてが同じはずだと思ってしまっている。

 

全くもって、単純だけど難しい。

 

 

何が正しいのかはわからないけれど。 

 

 

 

 

 

職場は感情で変わる

 

 

職場は感情で変わるというタイトルであったが、思うことは様々。

若干組織論に近いものがあったのかと思ったが、良書だと思います。

 

 

 

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現在の職場が抱える問題について、

といっても本書は2009年に書かれたものであり、それが未だに実感できることから

やはり、「職場」という大半の社会人が時間を過ごすその特殊な場で

議論されることは変わっていないのかなと思う。良い意味でも悪い意味でも。

田口ランディさんの本を読んだ時にも、同じような感覚があった気がする。

だいぶ前に書かれてることだけど、今でもあんま変わってないじゃん?

みたいなね。

 

 

職場の感情、という組織全体の問題にいきなり踏み込むのではなく、

そもそも感情とはどういうところから始まり、

なぜ感情が存在しているのか?

人間が感情を持つのはなぜなのか?

組織という形を取るのはなぜなのか?

という様に一つずつ紐解き、ぞして自身が感じている職場感情に対して

何をしていくべきなのか?

どういう打ち手が考えられるのか?と

一つ一つ非常に丁寧。

 

 

チームをまとめるという立場にはまだいないが、

社内で上に立つ人間は読んでおくべき本だと思ったし、

今のうちから読んでおくことは意味のあることだとも思った。

 

 

何年後かに再読したい。