越智 愛 の日常と〇〇

いつまでたってもイスタンブール 300万人を抱えるブロガーを目指す

他人に対して腹を立てるほど優しくなれない

 

 

誰かに対して腹を立てて、それを感情や行動にのせて表現をするのは

とてもエネルギーのいることだと思う。

 

 

そのためか、他人に対して腹を立てるという感情を

最近はほとんど持ったことが無い。

 

 

その代わりに出てきた感情が「諦め」であると思う。

 

 

 

駅の改札で詰まってる人だとか、

ATMの前でめっちゃ時間かかってる人とか、

電車の列に割り込んでくる人だとか、

自分の事を棚に上げて指摘してくる人とか、

約束を全然守らない人だとか。

 

 

知人ではない赤の他人に対しては、腹を立てたところでどうしようもないし、

知人に関してはそういう事をする人なんだなと思って距離を置いてしまう。

 

 

 

なので、見知らぬ赤の他人に対しては別として、

知人に対して腹を立てた時に、

きちんと自分の思いを乗せて相手に対して自分の意見を言える人は、

相手に対してこうなってほしいという気持ちであったり、

自分のエネルギーを使ってまでも相手に熱意を伝える姿勢があるという意味で

とても優しいと思う。

 

  

 

こういう話を時々他人にすると、返事は様々であるのだけれど

色々な意見が返ってくる。

ただ、一つだけ挽回したいことがある。

それは「相手のことを馬鹿にしすぎている」と言われることに対してである。

 

金輪際、馬鹿にはしていない。

これは誓っていい。

 

 

「その考え方って自分の考えは相手に伝わらないからって、相手を見下している」と

言われたときは驚いた。

 

 

なぜ、自分の考えがわかってもらえないから諦めるという考え方相手を見下す

という発想になるのか。

 

 

恐らく

「その考え方って自分の考えは相手に伝わらないからって、

 (相手は自分の言うことが理解できる人物ではないと判断して)相手を見下している」

と言う事なのだと思うけれど。

 

 

 

相手にわかってもらえないということはつまり、

そもそも考え方が違うのだ、というただそれだけで終わりの話であって

それ以上でも以下でもない。

十人十色という言葉があるように多様性を認めて終わりの話だと思っている。

それを分かってもらうように説明をするほどのエネルギーは無いし、

優しくはないというただそれだけの話である。

 

 

 

 

 逆に

相手と話しさえすれば、自分の考えを伝えきれる、他人とは必ず分かり合える、

という様に考えることは傲慢であるとさえ思う。

 

 

 

 

  

ただ、相手にあまり期待しないとはいえ、きちんとダメージは受けている。

 

 

 

 

 

 

やりたいことNo.68 劇団四季を見に行く

 

 

行ってきました。

 

www.shiki.jp

 

 

初めて見に行くし、せっかくだから最前列で見よう!

と、思い立ったのが昨年の11月のこと。

 

その時で既に最前列は8ヶ月後の7月にしか空いてないのだから

劇団四季すごい。

 

 

劇団四季って場所や公演時期で演目が変わるらしく、

人生初劇団四季はCATSでした。

 

 

何がどうすごいのかというのを根拠づけて表現するのは嫌いなので

グダグダとは書きませんが、見てて楽しかったです。

わくわくしました。

 

 

大きな建造物見たら、とりあえずすげぇってなる感覚と同じ感じで

すげぇってなりました。

 

 

良かったです。

 

 

 

 

 

やりたいことNo.13 ジャズバーに行く

 

 

行ってきました。

 

神戸のジャズバー

ソネ

 

 

 

シャレオツなおじさま方が演奏されてました。

 

自分の品格が上がった気がしました。

 

 

 

ただ、財布に厳しい。

 

 

経験の大数の法則

 

 

見放題2017に行ってきました。

すごくよかった。すごく。

 

www.mihoudai.jp

 

何が良かったっていうと

点在するライブハウスに軽いノリでふらふらと寄れるところ

とてもよかったです。

 

大阪近いし、大型フェスみたいにバスで遠いところまで行って

暑い中で野外で聞くというのとはまた違った良さがありました。

 

カミングコウベと言い、サーキット系のフェスの方が

自分には合っているかもしれない。

 

 

その中で

 

BURNOUT SYNDROMES 

youtu.be

 

 

ハルカミライ

 

youtu.be

 

がすげぇ良かった。よかった。

 

BURNOUT SYNDROMES は元から名前は知っていて、

ハルカミライはCD買ってたので余計自分の期待値が上がってたのもあるんだけれど。

 

とりあえずすげぇ良かった。笑

 

パフォーマンスやMCがとてもよかったのに加えて

彼らがもう自分より年下なんだなと思いながら見たことにあるのかとも思った。

 

自分にとって今までバンドとかアーティストって言うのは

年上なのが当たり前で、だからこそ経験則に基づいた色々を歌ってて

その中で自分に共鳴するのがあるんだろうなぁと思っていたのだけれど

実体験として

自分よりも若いバンドが歌っていることに対してもただシンプルに

良いな、と

思うことがあって。

 

 

うすうすと気づいてはいたけれど、

年上とか年下だとか

そういった概念って本当に大したことじゃないってことを実感しました。

 

面白い人はいつでも面白いし、

面白くない人はいつでも面白くない。

 

面白いってか興味を持てるか、持てないかの方が

言い表すのには正しいのかもしれないけれど。

 

長い目で見ると、自分が経験をすることや他人が経験をすることへの種類に

そう大差はないのかなと思います。

ただ、いつ経験するか、それが小学生の時なのか、社会人になってからなのか

死ぬ前なのかが違うだけで。

 

これ、僕の尊敬する先輩がチラッと言ってたことなんだけど、

確かにその通りだと思います。

 

 

とても良いフェスでした。

来年もいきたい。

 

 

 

 

 

 

最後に

ミーハーなのでyonigeも見て帰りました。笑

ライブ云々よりも、登場の際のSEが

THE SALOVERSの生物生育空間だったのがめっちゃ良かったです。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「報・連・相が大事」という言葉をそのまま「報告・連絡・相談することが大事」と思っている人多すぎ問題

 

 

意味違うわ。本読め。本。

 

 

多分、「報・連・相」という言葉が誰が言い出したのかも知らずに

なんとなくみんなが使ってるから使ってるんだと思うけど。

 

使うのはいいが、それを周りにさも当然かのように振りまくな。

 

少なくとも、提唱者が「報告・連絡・相談することが大事」

という意味で「報・連・相」を言い始めたわけでは無いことくらい知っとけ。

 

 

と、思うこの頃。

 

 

===========================================================

 

 

 

言葉の意味って、浸透していくことでどんどん変わっていくのが常なので

どこまで突っ込んでいくのかは難しいところだと思いますが。

 

 

元々の報・連・相の意味って、

「報告、連絡、相談をしやすい環境を会社全体で作り上げていこう、

 そして最終的に風通しの良い会社を作っていくことで、

 一人一人の能力を最大限に発揮するのが目的だった」

 と言われてますね。

 

 

 

そりゃそうだろ。

 

 

 

 

と思います。

報・連・相が大事て言われて、報・連・相をしようってなるんなら、

典型的な「手段が目的になってる」話じゃないですか。

 

 

 

 

報告・連絡・相談が大事だなんて別に社会人にならなくても

小学生くらいから知っているもんじゃないのかと思います。僕だけ?

 

 

そんなことをいちいち教えられなくても、自分が組織の一員で、

何かに取り組んでて、やらかしたり、失敗したらとりあえず相談はするだろう。

むしろ、してきたはず

 

 

特段、「報告・連絡・相談が大事だと言われたからする~🎵」

みたいなハッピーな人はいないだろう。

 

 

それじゃなんで、学生の時にはそういう事が出来てて、

社会人になったら今更、ホウレンソウが出来ないのか??

 

 

答えは簡単すぎるほど簡単(だと、個人的には思っている)

 

 

ズバリ、周囲と信頼関係がないから。

 

 

ただこれだけのことだと思う。

 

 

自分と仲が良い友達10人くらいで会社を立ち上げたとするじゃないですか?

その際に自分が大きな取引で失敗して、すぐに報告しないと会社の存続に関わる、

みたいな事案が発生したとしたら、まず間違いなく直ぐに報告すると思うんですね。

 

「やべぇ、やらかしたかもしれん。」

「どした?」

「あの案件、飛びそうだ。やばい。」

「マジか、はよ帰ってこい、会議するぞ」

 

くらいのノリで会話になると思うんですよね?(想像)

 

ここには、その周りの友人たちと既に信頼関係ができているので、

自分がマイナスな事を報告しても頼りになるし、

全員で物事に取り組もうという関係が既にあるわけです。

さらに他のメンバーの為に頑張りたいという熱い気持ちもあるので、

自分のミスは自分で取り返したい、という気持ちから

真っ先に報告をすると思うんですね。

サークル活動とか、部活動とか物事の規模は違えど、

こんな感じだったのではないかと。

 

 

要は、友達だから言い易い

ただこれだけ。

 

 

それが、社会人になると

学生時代の友人のような付き合いをするのはなかなか難しいのが正直なところ。

信頼関係ができていないので、

 

報告しても怒られ、連絡しても怒られ、相談しても怒られ、

という考えがまず頭をよぎり、

 

(最終的に報告しないといけないのはわかっているけれど)

「どうしたらいいんだろう。。。」

「何から言えばよいのだろう。。。」

「何でこうなってしまったのだろう。。。」

 

という負のループに陥り、、、

 

みたいな感じになっているのかと。

 

 

もちろん、自分の意志で選んでその組織に関わっている以上、

組織のことを優先するべきで、信頼関係がどうとか言っている場合じゃない、

という考えもあるとは思いますが。

 

 

それだけで快適に過ごせたら苦労はしないですね。

 

 

 

後半雑になった。

 

 

 

 

 

 

先人の役割とは

 

これ

 

news.livedoor.com

 

記事の内容云々は置いておいて

 

「来年から楽になるなんてずるい。役員をすませた私たちがバカをみたようだ」

 

この言葉がなんかすごい。

「ずるい」という発想が来ること自体、組織のこと、ここではPTAのことを何も考えてないんだと思われる。

自分が所属している組織のことを本当に良くしていこうという気持ちがあるのであれば「ずるい」と言った相手の行動を非難する発言ではなく、組織の経緯や背景、先人の思いなどを鑑みた指導になるのではないだろうか?

 

「ずるい」といった概念は自分が組織に対して真剣ではないからこそ生まれる考えだと思ってしまう。

 

 =====================================

 

多くの団体、組織、チーム等は世代が変わっていくことが多いと思う。

この時に、実際に活動、仕事、業務を行ってきた先人たちが

下の代に残すことができるものは何だろうか、ということを考えると自分達の「経験」であろう。

 

この「経験」は一言で言うにはあまりにも多くのことを含みすぎていると思うが、

ここでいう経験とは「知識(知っているか知らないかだけのこと)」であり

「技術(時間と共に身についていくもの)」のことではない。

 

多くの先人たちはこの「経験」という言葉を安易に使って

「知識」と「技術」という言葉をごちゃ混ぜにしている気がしてならない。

 

後輩の成長、組織の活性化を願って後輩たちに経験を積ませるのは良いことだと思う。

 

ここで言う経験はあくまで「技術」のことだ。

自分がやらないとわからないこと、やってみて実際にわかること。

沢山あると思うし、それを部下に任せて一任するというのは

個人の成長を考えてもとても良いことだと思う。

自分の企画のプレゼンテーションで大失敗したりすることで、次はもっと上手くやってやるという気になるのは、本人にとってもチームにとっても必要不可欠なことだと思う。

これは「技術」であり、やればそのまま上手くなる、むしろやらなければならない。

 

問題なのが「知識」である。

企画のプレゼンテーションを行う際の、準備する資料の数や、プレゼン用の部屋の予約の仕方だとか、会社で決まっているフォントのサイズだとか。

ここにあげたのは大分雑だけれども、こういった「知らないとどうしようもないこと」を経験として指導している先人が多いと感じる。

 

「今の若者は根性が無い。調べようとしない。何でも質問してくる。」

 

こういった意見をよく聞くが、果たしてその若者の質問の意図は

「経験」における「知識」に対する質問なのか「技術」に対する質問なのか。

 

「プレゼンの際に保管用の資料がいるから、5部多く準備する必要がある」

「会議室の予約は、新人の場合は一週間前から必要だ」

「フォントは明朝体をどんな状況でも使う必要がある」

 

こういったレベルのことに対しても「考えたらわかるだろ」と言った指導がまかり通ってないだろうか?

 

考えてもわかるはずがない。

 

結局は知っているか、知らないか

ただそれだけのことが多いように感じている。

それを「経験」という一言で片づけている事案が多い。

 

もちろん、経験に対する解釈を曖昧にしているのは先人、後輩、共に責任があると思うが、その組織に属していて多くの「知識」「技術」を得ている先人が、より配慮する必要があると考えるのは必然であろう。

 

 

  

「自分がされて嫌なことをしてはいけない」のならば「自分がされてもいいことは人にしてもいい」のか?

 

というようなことを前々からよく考えます。

 

自分がされて嫌なことは相手にしない、

ということは物心ついた時から当然のように考えることができてて、

親に感謝なのだけれど 、

そう言った感情を思う反面で

別に自分はされてもなんとも思わないから、

他人に対してもするということが結構あります。

 

ここで言う「する」というのは「しないことをする」ということです。

  

例えば、友人宅を訪れた際に飲み物を出すとか、

旅行に行った時はお土産を買ってくるとか、

宴席の際に率先して末席が注文を取るとか、

 

こういったことは自分がされなくても何とも思わないので

他の人に対してもする気にならないですが、

 

果たして。